石橋山古戦場跡
2007年10月23日
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
小田原に行った帰りに石橋山古戦場跡へと
少し足を伸ばした。
このあたりは、みかん畑が広がっていてじつにのどかである。
石橋山から鎌倉、三浦半島方面をのぞむ。
伊豆に流されていた源頼朝は
治承4年(1180)、以仁王の令旨を受けて
平家打倒の兵を挙げ、石橋山に進出する。
平家軍3,000に対し、頼朝軍はわずか300!
多勢に無勢で頼朝軍は、あっという間に敗走する。
そんな中、頼朝から先陣を命じられ
奮闘したのが佐奈田与一。
そのを余一を祀っているというのが佐奈田霊社である。
与一はわずかな手勢で、剛者俣野五郎の軍勢を迎え撃つ。
そして与一は俣野を組み敷くが
血塗られた短刀を抜くのに手間取るうちに
駆けつけた敵に討たれてしまう。
その現場と伝えられるのがここ。
土地の人は、ここを「ねじり畑」と呼ぶらしい。
なんでも、この畑でとれる作物は
どういうわけか、ねじれてしまうんだとか。。。
こちらの祠は、与一の郎党である文三家安を祀っている。
家安は、主人与一の討死を知るや
決然と敵中に突っ込み、壮烈な最期を遂げる。
こうした彼らの決死の働きもあってか
頼朝は土肥杉山方面へとからくも逃れていく。
その後、洞の中に潜んでいるところを
梶原景時に助けられた話は有名である。
石橋山で敗れた頼朝は
その後、真鶴岬から安房に脱出し、再起をはかると
鎌倉に入り、あっという間に平家を滅ぼしてしまう。
そして『吾妻鏡』には
頼朝は鎌倉に幕府を開いたあとにこの地を訪れ
2人の墓前で、その忠節を偲び、涙を流したと記されている。
まあ、800年以上も前の話であるがね。
暮れてきたこともあり
ちょっと寂しかったのう。。。
小田原に行った帰りに石橋山古戦場跡へと
少し足を伸ばした。
このあたりは、みかん畑が広がっていてじつにのどかである。
石橋山から鎌倉、三浦半島方面をのぞむ。
伊豆に流されていた源頼朝は
治承4年(1180)、以仁王の令旨を受けて
平家打倒の兵を挙げ、石橋山に進出する。
平家軍3,000に対し、頼朝軍はわずか300!
多勢に無勢で頼朝軍は、あっという間に敗走する。
そんな中、頼朝から先陣を命じられ
奮闘したのが佐奈田与一。
そのを余一を祀っているというのが佐奈田霊社である。
与一はわずかな手勢で、剛者俣野五郎の軍勢を迎え撃つ。
そして与一は俣野を組み敷くが
血塗られた短刀を抜くのに手間取るうちに
駆けつけた敵に討たれてしまう。
その現場と伝えられるのがここ。
土地の人は、ここを「ねじり畑」と呼ぶらしい。
なんでも、この畑でとれる作物は
どういうわけか、ねじれてしまうんだとか。。。
こちらの祠は、与一の郎党である文三家安を祀っている。
家安は、主人与一の討死を知るや
決然と敵中に突っ込み、壮烈な最期を遂げる。
こうした彼らの決死の働きもあってか
頼朝は土肥杉山方面へとからくも逃れていく。
その後、洞の中に潜んでいるところを
梶原景時に助けられた話は有名である。
石橋山で敗れた頼朝は
その後、真鶴岬から安房に脱出し、再起をはかると
鎌倉に入り、あっという間に平家を滅ぼしてしまう。
そして『吾妻鏡』には
頼朝は鎌倉に幕府を開いたあとにこの地を訪れ
2人の墓前で、その忠節を偲び、涙を流したと記されている。
まあ、800年以上も前の話であるがね。
暮れてきたこともあり
ちょっと寂しかったのう。。。
Posted by QooQoo at 23:59│Comments(2)
│ちょいとおでかけ
この記事へのコメント
QOOPAPAさん、こんちわ。
鎌倉って、いいっすねー(^ー^)
一度、ゆっくり散策してみたいです。
(行きたいトコロできました)
その折には、QOOQOOにガイドを・・・
首を長くして待っててください。長くなりすぎない頃
を見計らって~
鎌倉って、いいっすねー(^ー^)
一度、ゆっくり散策してみたいです。
(行きたいトコロできました)
その折には、QOOQOOにガイドを・・・
首を長くして待っててください。長くなりすぎない頃
を見計らって~
Posted by 和創楽 at 2007年10月24日 11:24
和創楽さん
同じ古都でも京都、奈良、大津とは
またちがった雰囲気があります、鎌倉は。
QOOQOOも胴をながーくしてお待ちしてます!
同じ古都でも京都、奈良、大津とは
またちがった雰囲気があります、鎌倉は。
QOOQOOも胴をながーくしてお待ちしてます!
Posted by QOOPAPA at 2007年10月24日 17:36