コーギーカーディガンがいく

高野山

2010年03月11日

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。

本日、QOOPAPAは高野山だそうで。。。

高野山

昨年、仕事で四国八十八箇所巡拝をしたんで
高野山奥の院は、その締めくくりなんだと。

天気は雪icon04

その寒さで、清浄感と神秘性が高まる。

高野山

一山の総門である大門

圧倒的な存在感に身が引き締まる。

高野山

全山の総本堂である金堂と真言密教の根本大塔。

これまたスケールがでかい。

高野山

その後、金剛峯寺を通り過ぎ一路、奥の院へ。

一の橋は人も少なく、よりいっそう厳かな雰囲気。

高野山

高野山奥の院にある司馬遼太郎文学碑
高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
山上は、ふしぎなほどに平坦である。

そこに一個の都市でも展開しているかのように、
堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、
ひさしを深くし、練塀をつらねている。

枝道に入ると、中世、別所とよばれて、
非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、
寺よりもはるかに俗臭がすくない。

さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、
もっとも奥まった場所である奥の院に、
僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。

その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったか
と思えるような大門がそびえているのである。

大門のむこうは、天である。

山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。

大門からそのような虚空を眺めていると、
この宗教都市がじつは現実のものではなく、
空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。

まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、
唯一ともいえる異域ではないか。

                             司馬遼太郎
さあ、お大師様に会いに行こう!            

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