2008年06月19日
「秘密の県民SHOW」に滋賀登場!
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
今夜の「秘密の県民SHOW」では
Vol.25「滋賀県の中心で愛を叫ぶ」と題して
滋賀(というより大津ね)がフューチャーされていた。

琵琶湖博物館にも行ったなあ。。。
浜大津アーカスではよく食事したし
TSUTAYAでビデオレンタルしたなあ。。。
琵琶湖競艇には行ったことはなかったけど
たしかにそこからの景色はよさそうだね。
バス天丼は我輩もPAPAも食べたことないよ。
大津に住んでいながら麗門という焼肉屋さんもごめん、知らなかった。
琵琶湖花噴水はやっぱりいいなあ。。。
鎌倉の海もいいけど、琵琶湖には独特のやさしさがあるね。
あっ、夢見が丘展望台からの琵琶湖の夜景!
なんどとなく見たなあ。。。
なんて、いいながらみていたんだけどさ、
「えっ、もう終わり?」
というか、読売テレビさんよ、尺が短いのはともかく
このVじゃあ、滋賀の魅力は伝わらないよ!
しかたがないからこっちのワン仲間には
我輩が滋賀のことをPRしておくけどさ。
WEB上では滋賀咲くBLOGのブロガーのみなさんがいるから
まあ、大丈夫だろうけどね。
でも、ちょっとなつかしかったなあ。
ということで、我輩が滋賀にいた頃の写真をポチっと。。。な。

この夏休みは、やっぱ坂本に帰ろうかのう。。。QOOPAPA、ダメかなあ?
。。。。。。考えておくよ by QOOPAPA
今夜の「秘密の県民SHOW」では
Vol.25「滋賀県の中心で愛を叫ぶ」と題して
滋賀(というより大津ね)がフューチャーされていた。

琵琶湖博物館にも行ったなあ。。。
浜大津アーカスではよく食事したし
TSUTAYAでビデオレンタルしたなあ。。。
琵琶湖競艇には行ったことはなかったけど
たしかにそこからの景色はよさそうだね。
バス天丼は我輩もPAPAも食べたことないよ。
大津に住んでいながら麗門という焼肉屋さんもごめん、知らなかった。
琵琶湖花噴水はやっぱりいいなあ。。。
鎌倉の海もいいけど、琵琶湖には独特のやさしさがあるね。
あっ、夢見が丘展望台からの琵琶湖の夜景!
なんどとなく見たなあ。。。
なんて、いいながらみていたんだけどさ、
「えっ、もう終わり?」
というか、読売テレビさんよ、尺が短いのはともかく
このVじゃあ、滋賀の魅力は伝わらないよ!

しかたがないからこっちのワン仲間には
我輩が滋賀のことをPRしておくけどさ。
WEB上では滋賀咲くBLOGのブロガーのみなさんがいるから
まあ、大丈夫だろうけどね。
でも、ちょっとなつかしかったなあ。
ということで、我輩が滋賀にいた頃の写真をポチっと。。。な。

この夏休みは、やっぱ坂本に帰ろうかのう。。。QOOPAPA、ダメかなあ?
。。。。。。考えておくよ by QOOPAPA
2007年03月10日
はじめての電車で余呉湖へ
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
我輩、はじめて電車というものに乗った。
今度の引越しで新幹線という超特急に乗るための
QOOPAPA曰く試験なのだそうだ。
我輩は、あんまりワンワン騒ぐようなら
「クロネコヤマトの宅急便にするぞ!」
と脅されているわけだ。
比叡山坂本駅で手回り品代270円を支払って
プラットホームへ。

まずは比叡山坂本から湖西線で近江塩津へ。
この間、不審なオトコに2,3度吼えたが
おおむねおとなしくしていたので
まずは合格ラインであろう。
給水も、こんな感じでばっちりである!

で、せっかくなので
近江塩津から余呉へと足を伸ばした。
駅前は何もないけど、のんびりとした雰囲気がGOOD!
余呉湖のほうへ行くと
釣り人がたくさん来ていた。

余呉湖といえば羽衣伝説。
三保の松原や丹後峰山と並ぶ日本の三大羽衣伝説として有名だ。
昔、天女が白鳥の姿になって余呉湖に舞い降り
湖畔の柳に羽衣をかけて水浴していたところ
伊香刀美という人が白犬を使って
羽衣をかくしてしまう。
天女は天に帰ることができなくなり
伊香刀美の妻となって二男二女を生む。
別の説では、天女は羽衣を見つけ
天に変えるが、残された男の子はお寺に引き取られ
やがて京都の菅原是善卿という貴族の養子となる。
これが後の菅原道真だというから驚きだ。
また、ここは賤ヶ岳の戦いで
柴田勝家と羽柴秀吉が対峙した場所でもある。
おそらく、今も昔も、この辺の風景は
そんない変わっていないのではないだろうか。
ともかく、1時間以上も狭い場所に
押し込められたうっぷんを晴らすように
余呉湖の周りを走り回った我輩。
帰りの電車は疲れてぐっすり。
lまずは試験は合格か???
我輩、はじめて電車というものに乗った。
今度の引越しで新幹線という超特急に乗るための
QOOPAPA曰く試験なのだそうだ。
我輩は、あんまりワンワン騒ぐようなら
「クロネコヤマトの宅急便にするぞ!」
と脅されているわけだ。
比叡山坂本駅で手回り品代270円を支払って
プラットホームへ。

まずは比叡山坂本から湖西線で近江塩津へ。
この間、不審なオトコに2,3度吼えたが
おおむねおとなしくしていたので
まずは合格ラインであろう。
給水も、こんな感じでばっちりである!
で、せっかくなので
近江塩津から余呉へと足を伸ばした。
駅前は何もないけど、のんびりとした雰囲気がGOOD!
余呉湖のほうへ行くと
釣り人がたくさん来ていた。

余呉湖といえば羽衣伝説。
三保の松原や丹後峰山と並ぶ日本の三大羽衣伝説として有名だ。
昔、天女が白鳥の姿になって余呉湖に舞い降り
湖畔の柳に羽衣をかけて水浴していたところ
伊香刀美という人が白犬を使って
羽衣をかくしてしまう。
天女は天に帰ることができなくなり
伊香刀美の妻となって二男二女を生む。
別の説では、天女は羽衣を見つけ
天に変えるが、残された男の子はお寺に引き取られ
やがて京都の菅原是善卿という貴族の養子となる。
これが後の菅原道真だというから驚きだ。
また、ここは賤ヶ岳の戦いで
柴田勝家と羽柴秀吉が対峙した場所でもある。
おそらく、今も昔も、この辺の風景は
そんない変わっていないのではないだろうか。
ともかく、1時間以上も狭い場所に
押し込められたうっぷんを晴らすように
余呉湖の周りを走り回った我輩。
帰りの電車は疲れてぐっすり。
lまずは試験は合格か???
2007年03月08日
近江大津宮遺跡と弘文天皇前稜
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
錦織の住宅街の中に
近江大津宮遺跡はぽつんとあった。

天智6(667)年、天智天皇は
飛鳥から近江へ都を移した。
天智天皇の死後、有名な壬申の乱が勃発。
戦いに敗れた天智天皇の子・大友皇子は自害し
大津宮はたった5年で滅びてしまう。
大友皇子は「山前(やまさき)」で自殺したと記録にある。

敗れた皇子は、ながく天皇と認められなかったが
明治3年(1870)、弘文天皇とおくり名される。
大津市役所のちょうど裏手、長等山麓の森に陵墓はあった。
古代史は少々苦手だが
短命におわった湖畔の都を
想像してみるのも楽しいものである。
錦織の住宅街の中に
近江大津宮遺跡はぽつんとあった。
天智6(667)年、天智天皇は
飛鳥から近江へ都を移した。
天智天皇の死後、有名な壬申の乱が勃発。
戦いに敗れた天智天皇の子・大友皇子は自害し
大津宮はたった5年で滅びてしまう。
大友皇子は「山前(やまさき)」で自殺したと記録にある。

敗れた皇子は、ながく天皇と認められなかったが
明治3年(1870)、弘文天皇とおくり名される。
大津市役所のちょうど裏手、長等山麓の森に陵墓はあった。
古代史は少々苦手だが
短命におわった湖畔の都を
想像してみるのも楽しいものである。
2007年03月04日
琵琶湖岸をドライブ
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
関西および滋賀で過ごす土日も
今日を入れてあと3回ということなの
どこかへ行こうということになった。
お天気もいいしね。
どこに行くかいろいろと考えたが
結局は琵琶湖岸をドライブすることにした。

びわ湖毎日マラソンによる
交通規制を縫うように湖岸道路木浜PA。
おだやかな陽光と湖面のキラメキに誘われ
クルマをひょいと止めて、コンビニ弁当を買い、昼寝をする。
なんか、いい感じである。
こんな日常が遠いものになるんだなあ。
関西および滋賀で過ごす土日も
今日を入れてあと3回ということなの
どこかへ行こうということになった。
お天気もいいしね。
どこに行くかいろいろと考えたが
結局は琵琶湖岸をドライブすることにした。
びわ湖毎日マラソンによる
交通規制を縫うように湖岸道路木浜PA。
おだやかな陽光と湖面のキラメキに誘われ
クルマをひょいと止めて、コンビニ弁当を買い、昼寝をする。
なんか、いい感じである。
こんな日常が遠いものになるんだなあ。
2007年01月20日
膳所城跡公園を散歩
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
膳所城跡公園にお散歩に行って来た。

膳所城は徳川家康が関ヶ原の合戦の翌年の慶長6(1601)年に
藤堂高虎に築城させたもの。
関が原の戦いで激戦が繰り広げられた大津城は廃城となり
その後、明治維新まで膳所城が大津の中心となった。
もともと大津城を改修する方向で検討されたていたようだが
大津城はの長等山から城内が見渡せるので
地形的に守りずらい。
そこで、大津城を廃して膳所城の築城が決定されたらしい。
膳所城は瀬田の唐橋を守る重要拠点であった。
最初の城主は戸田一西。
その後、菅沼氏や石川氏などが入れ替わるが
1651(慶安4)年に本多俊次が7万石で入場すると
明治維新まで本多氏の支配下に置かれることになる。
我輩がもっとも尊敬する人物である
あの蒼龍窟越後長岡藩・河井継之助のご先祖も
本多氏に仕えていたそうだ。
膳所城はご存じのとおり、現在は公園として整備され
市民の憩いの場になっている。
公園にはたくさんのワンコが散歩していた。
おかげで我輩もいろいろなワンコと交流が出来た。


「瀬田の唐橋唐金擬宝珠 水に映るは膳所の城」
もはや当時の面影は湖畔の石垣のみ。
でも、いいんじゃないか。
坂本城跡と同様、我輩はここが大好きである。
膳所城跡公園にお散歩に行って来た。

膳所城は徳川家康が関ヶ原の合戦の翌年の慶長6(1601)年に
藤堂高虎に築城させたもの。
関が原の戦いで激戦が繰り広げられた大津城は廃城となり
その後、明治維新まで膳所城が大津の中心となった。
もともと大津城を改修する方向で検討されたていたようだが
大津城はの長等山から城内が見渡せるので
地形的に守りずらい。
そこで、大津城を廃して膳所城の築城が決定されたらしい。
膳所城は瀬田の唐橋を守る重要拠点であった。
最初の城主は戸田一西。
その後、菅沼氏や石川氏などが入れ替わるが
1651(慶安4)年に本多俊次が7万石で入場すると
明治維新まで本多氏の支配下に置かれることになる。
我輩がもっとも尊敬する人物である
あの蒼龍窟越後長岡藩・河井継之助のご先祖も
本多氏に仕えていたそうだ。
膳所城はご存じのとおり、現在は公園として整備され
市民の憩いの場になっている。
公園にはたくさんのワンコが散歩していた。
おかげで我輩もいろいろなワンコと交流が出来た。


「瀬田の唐橋唐金擬宝珠 水に映るは膳所の城」
もはや当時の面影は湖畔の石垣のみ。
でも、いいんじゃないか。
坂本城跡と同様、我輩はここが大好きである。

