コーギーカーディガンがいく

蒲殿・源範頼を偲ぶ@修善寺

2009年09月28日

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。

ふつうは修善寺といえば源頼家公、ということになるが
この地には河内源氏の流れを汲む源義朝の六男、
源頼朝公の異母弟、源義経の異母兄である
蒲冠者・蒲殿こと源範頼も眠っている。

源範頼の墓

義経の武功と悲劇性が際立ついっぽう、
範頼はなんともマイナーな存在ではある。

しかし、頼朝公の代理として源義仲・平家の追討軍を率い
その後も源氏一門として鎌倉幕府で重きをなしているのだ。

有名な曽我兄弟の仇討ちのとき
頼朝公が討たれたという誤報が入ると
範頼は「後にはそれがしが控えておりまする!」
北条政子を励ましたという。

しかし、この発言に頼朝公が、あるいは政子がカチンと来たのか
謀反の疑いをかけられ、伊豆へ幽閉、誅殺されてしまう。

ものすごい猜疑心。。。源家の血は冷たいね。

源範頼

もっとも、範頼の最期には異説がある。

越前へ落ちのびて生涯を終えたとか
武蔵国に逃れ隠れ住んだとか。

三浦半島の追浜の地は、修善寺を脱出した範頼が
追われるようにしして浜にたどりついたことから
そう呼ばれるようになったとも。

まあ、ジンギスカンになった義経に比べると
かなり地味ではあるが、それもまた蒲殿らしいけどな。

源範頼の墓

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この記事へのコメント
郷ひろみのときの政子は、確か岩下志麻さんでした。
頼朝が石坂浩二さんでしたよね?
とても冷たい頼朝だった気がします。
政子は、迫力があった!
頼朝が亡くなったあと、家臣達を鼓舞するシーン、覚えてます^^
Posted by めいママ1031 at 2009年09月28日 22:38
「草燃える」はよかったですね
頼朝は石坂浩二でした

>頼朝が亡くなったあと、家臣達を鼓舞するシーン、覚えてます^^

承久の乱の前夜だと思います
盛り上がりの場面ですね
Posted by QOOPAPA at 2009年09月29日 07:53
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