宝戒寺―北条執権邸旧蹟
2009年06月04日
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
かつての小町大路に面して建つ宝戒寺。

この地は、2代執権北条義時が屋敷を構えて以後
代々の執権屋敷があった場所だ。
最後の得宗、北条高時が夜ごと
田楽や宴に興じていたのもこの邸である。

元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めにより
北条氏の鎌倉幕府は滅亡する。
そこで、後醍醐天皇が北条一族の霊をしずめるため
足利尊氏に命じ建立したのが、この宝戒寺というわけ。

本堂右脇に北条高時を祀る徳宗大権現社。
ここには北条高時の木造が安置されている。
毎年、高時の命日である5月22日には法要が行われ
そのときには祠からお出ましになるらしい。

さてさて、北条高時のこと。
「頗る亡気(うつけ)の躰にて、将軍家の執権も叶い難かりけり」
古典『太平記』などでは田楽や闘犬にうつつをぬかす
暗愚として描かれている。
そりゃあ、聡明だったとは思わないけど
でも、実際以上に貶められているということはないかのう。。。
高時が犬好きだから贔屓している?
。。。うーん、それもあるんだけど。
少なくとも夢窓国師に参禅、茶や仏画にも造詣もあり
それなりの文化人であったのではないか。
そんな気がするのだ。


かつての小町大路に面して建つ宝戒寺。

この地は、2代執権北条義時が屋敷を構えて以後
代々の執権屋敷があった場所だ。
最後の得宗、北条高時が夜ごと
田楽や宴に興じていたのもこの邸である。

元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めにより
北条氏の鎌倉幕府は滅亡する。
そこで、後醍醐天皇が北条一族の霊をしずめるため
足利尊氏に命じ建立したのが、この宝戒寺というわけ。

本堂右脇に北条高時を祀る徳宗大権現社。
ここには北条高時の木造が安置されている。
毎年、高時の命日である5月22日には法要が行われ
そのときには祠からお出ましになるらしい。

さてさて、北条高時のこと。
「頗る亡気(うつけ)の躰にて、将軍家の執権も叶い難かりけり」
古典『太平記』などでは田楽や闘犬にうつつをぬかす
暗愚として描かれている。
そりゃあ、聡明だったとは思わないけど
でも、実際以上に貶められているということはないかのう。。。
高時が犬好きだから贔屓している?
。。。うーん、それもあるんだけど。
少なくとも夢窓国師に参禅、茶や仏画にも造詣もあり
それなりの文化人であったのではないか。
そんな気がするのだ。


Posted by QooQoo at 16:00│Comments(2)
│湘南・鎌倉・横浜
この記事へのコメント
歴史の敗者は、悪く書かれますからねー
そういう尊氏さんも、明治から戦前までは”悪人”の代表のように書かれていたようですが・・・
そういう尊氏さんも、明治から戦前までは”悪人”の代表のように書かれていたようですが・・・
Posted by ryu-oumi at 2009年06月05日 11:41
皇国史観では尊氏は北条以上に悪にされてますね。
時代祭でも最近まで尊氏は登場しませんでしたし。
時代祭でも最近まで尊氏は登場しませんでしたし。
Posted by QOOPAPA at 2009年06月06日 05:11