幾松-桂小五郎寓居跡
2007年02月22日
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
木屋町通御池上るに料理旅館の幾松がある。
我輩のようなワンコには一切ご縁のないところではあるが
QOOPAPAは仕事で何度か行ったことがあるらしい。
この地は幕末当時、長州藩の控屋敷だった。
幾松(後の松子夫人)は三本木の芸者。
その幾松と桂小五郎が住んでいたのが
この場所である。
池田屋騒動、蛤御門の変で長州藩が敗れると
京都に潜伏して活動を続ける桂小五郎をかくまい
幾松は密かに食料を運んだ。
さて料理旅館の幾松では、宿泊や食事をすると
屋敷に設けられたのつり天井や抜け穴とかを見せてくれ
いろいろと幾松、桂にまつわる逸話を紹介してくれる。
以下は、そのときにお店の人が教えてくれたお話。
ある日、幾松は桂小五郎を探索中の新選組を見かける。
そこで幾松は屋敷に戻り、部屋の中の長持に桂を隠す。
屋敷に踏み込む近藤勇率いる新撰組。
「御用改めである!」
長持の前で三味線を弾いている幾松。
部屋に入ってきた近藤。
長持を怪しみ、蓋に手をかけた刹那
幾松は、三味線のバチで近藤の手を払いのける。
「近藤はん、お待ちください。お役目とはいえ
屋敷をこれほどまでに改めて、私に恥をかかせたうえ
もし、この長持の中にどなたもいないとなれば
近藤はん、責任をとってくれはりますか?」
「この場で切腹してくれはりますか。
その覚悟がおありどしたら、どうぞ改めておくれやす」
幾松の度胸と覚悟に胸を打たれた近藤は
失礼を詫び、そのまま立ち去ったという。
凛とした女性、格好いいのう!
ちなみに、幾松の対面には大村益次郎
佐久間象山殉難の地碑もある。
木屋町通御池上るに料理旅館の幾松がある。
我輩のようなワンコには一切ご縁のないところではあるが
QOOPAPAは仕事で何度か行ったことがあるらしい。
この地は幕末当時、長州藩の控屋敷だった。
幾松(後の松子夫人)は三本木の芸者。
その幾松と桂小五郎が住んでいたのが
この場所である。
池田屋騒動、蛤御門の変で長州藩が敗れると
京都に潜伏して活動を続ける桂小五郎をかくまい
幾松は密かに食料を運んだ。
さて料理旅館の幾松では、宿泊や食事をすると
屋敷に設けられたのつり天井や抜け穴とかを見せてくれ
いろいろと幾松、桂にまつわる逸話を紹介してくれる。
以下は、そのときにお店の人が教えてくれたお話。
ある日、幾松は桂小五郎を探索中の新選組を見かける。
そこで幾松は屋敷に戻り、部屋の中の長持に桂を隠す。
屋敷に踏み込む近藤勇率いる新撰組。
「御用改めである!」
長持の前で三味線を弾いている幾松。
部屋に入ってきた近藤。
長持を怪しみ、蓋に手をかけた刹那
幾松は、三味線のバチで近藤の手を払いのける。
「近藤はん、お待ちください。お役目とはいえ
屋敷をこれほどまでに改めて、私に恥をかかせたうえ
もし、この長持の中にどなたもいないとなれば
近藤はん、責任をとってくれはりますか?」
「この場で切腹してくれはりますか。
その覚悟がおありどしたら、どうぞ改めておくれやす」
幾松の度胸と覚悟に胸を打たれた近藤は
失礼を詫び、そのまま立ち去ったという。
凛とした女性、格好いいのう!
ちなみに、幾松の対面には大村益次郎
佐久間象山殉難の地碑もある。
Posted by QooQoo at 08:47│Comments(2)
│滋賀・京都
この記事へのコメント
逃げの桂小五郎、確か神道無念流の免許でしたよね。この人と坂本龍馬くらいですかね、幕末の偉人で剣術の腕があるのに人切らないのは。
当時の芸妓さんは、教養人。そのなかでも、幾松さんは賢い方でしたね。
当時の芸妓さんは、教養人。そのなかでも、幾松さんは賢い方でしたね。
Posted by ryu-oumi at 2007年02月22日 10:02
剣術の心得があっても人を斬らない偉人としては、直心影流島田虎之助の弟子となった勝海舟もいますね。でも勝はどういう場面に遭遇してないですね。
幾松さんは、教養人であるうえに、なかなかのベッピンさんだったみたいですね。
幾松さんは、教養人であるうえに、なかなかのベッピンさんだったみたいですね。
Posted by QOOPAPA at 2007年02月22日 13:16