コーギーカーディガンがいく

追坂峠から敦賀へ

2007年02月04日

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。

今日は敦賀へドライブ。

まずは国道161号線で琵琶湖岸を北上、追坂(おっさか)峠へ。
道の駅・マキノ追坂峠からみた琵琶湖の眺望。

追坂峠から敦賀へ

15世紀には、海津から敦賀津までの七里半越
すでに開通していたという。

古人がみた景色は、今のそれとさほど変わらないかもしれぬ。


さて、文字通り七里半の峠の道を越えて敦賀市内へ。
敦賀といえばやはり気比の松原が有名だ。

追坂峠から敦賀へ

はじめて見る海、日本海。琵琶湖と違って波がある。
おまけに海の水は塩辛かった! これは発見であった。

この後、QOOPAPAらは気比神社にいったが
我輩は犬なのでクルマで留守番。なので割愛する。


で、その埋め合わせということではないだろうが
金ヶ崎緑地公園へ連れて行ってもらった。

追坂峠から敦賀へ

海辺のボードから敦賀湾を望む。
敦賀開港100周年記念で整備されたそうだが
広い芝生もあり、犬の散歩には最高の場所だ。

地元のワンコたちもたくさん来ていて
まさにワンワン王国である。


これは金ヶ崎城跡がある天筒山。

追坂峠から敦賀へ

金ヶ崎城は2度、歴史の大きな舞台となっている。

まずは建武3年(1336)。

北陸落ちした新田義貞
恒良親王尊良親王を奉じて金ヶ崎城に入る。

足利軍の兵糧攻めにあい、義貞は闇夜に密かに脱出。
体制を建て直して救援に向かうが、行く手を阻まれているうちに
足利軍の猛攻を受けた金ヶ崎城は落城してしまう。

尊良親王は義貞の子新田義顕と兵三百とともに自刃。
恒良親王も幽閉の身となり、翌年、無念の死を遂げる。

もうひとつは元亀元年(1570)。

越前朝倉義景を攻めていた織田信長に対し
北近江の浅井長政が離反して海津に進出する。

挟撃を恐れた信長は木下藤吉郎らに殿(しんがり)を任せ
朽木越えで京都に逃げ帰った、世に有名な金ヶ崎の退き口だ。

ちなみに、このとき、我輩の住んでいる坂本城主の明智光秀公も
殿をつとめており、秀吉だけが偉かったのではないことを
付け加えておこう。

あと、敦賀といえば大谷吉継も有名だ。
また、水戸天狗党・武田耕雲斉ら終焉の地もある。

歴史ファンなら、一日中楽しめるだろう。
(サカナも美味いしね)


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この記事へのコメント
 砂浜のQOOQOOちゃん、お腹が砂に擦りそう?

金ヶ崎城跡いいですねー(大谷吉継もいい!)、こういう歴史のある史跡に行くの大好きです。(因みに嫁のおやじさんは、全国のお城や寺社を旅行するのが趣味)
Posted by ryu-oumi at 2007年02月08日 08:51
ryu-oumiさん
コメントありがとうございます。
金ヶ崎城はいいですよ。滋賀からだと近いですからね。大谷吉継の史跡はなかなか見つかりませんが、武田耕雲斉ら終焉の地がおすすめです。
Posted by at 2007年02月13日 10:32
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