2010年03月11日 23:59
高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。さあ、お大師様に会いに行こう!
山上は、ふしぎなほどに平坦である。
そこに一個の都市でも展開しているかのように、
堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、
ひさしを深くし、練塀をつらねている。
枝道に入ると、中世、別所とよばれて、
非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、
寺よりもはるかに俗臭がすくない。
さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、
もっとも奥まった場所である奥の院に、
僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。
その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったか
と思えるような大門がそびえているのである。
大門のむこうは、天である。
山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。
大門からそのような虚空を眺めていると、
この宗教都市がじつは現実のものではなく、
空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、
唯一ともいえる異域ではないか。
司馬遼太郎