2008年02月18日
源頼朝公のお墓
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
鎌倉にある源頼朝公のお墓に行ってきた。

建久10年(1199)、53歳で亡くなった源頼朝は
大倉法華堂(現在の白旗神社)に葬むられる。
その後、宝治合戦のおり、北条時頼に攻められた三浦泰村は
一族とともに、ここ法華堂に立て篭もり、頼朝影像の前で自害した。
鎌倉開府の功労者である三浦一族の長として
なぜに自分が滅びねばならないのか、
さぞや無念であったろう。。。
おそろしや、北条氏の陰謀!
鎌倉の血塗られた歴史のひとこまである。

ちなみに頼朝公のお墓の奥には
幕府一の能吏である大江広元のお墓もある。
そして、その両隣には、宝治合戦で三浦一族とともに戦い、自害した
島津忠久と毛利季光の墓がある。
後年、維新回天を主導した薩長両藩の藩祖の墓がならんでいるというのも
歴史の妙味かもしれぬのう。。。
鎌倉にある源頼朝公のお墓に行ってきた。

建久10年(1199)、53歳で亡くなった源頼朝は
大倉法華堂(現在の白旗神社)に葬むられる。
その後、宝治合戦のおり、北条時頼に攻められた三浦泰村は
一族とともに、ここ法華堂に立て篭もり、頼朝影像の前で自害した。
鎌倉開府の功労者である三浦一族の長として
なぜに自分が滅びねばならないのか、
さぞや無念であったろう。。。
おそろしや、北条氏の陰謀!
鎌倉の血塗られた歴史のひとこまである。

ちなみに頼朝公のお墓の奥には
幕府一の能吏である大江広元のお墓もある。
そして、その両隣には、宝治合戦で三浦一族とともに戦い、自害した
島津忠久と毛利季光の墓がある。
後年、維新回天を主導した薩長両藩の藩祖の墓がならんでいるというのも
歴史の妙味かもしれぬのう。。。
この記事へのトラックバックURL
http://qooqoo.shiga-saku.net/t82941



