2007年09月17日
秘蹟・田谷の洞窟
我輩は犬である。名前はQOOQOOである。
横浜市栄区にある真言宗定泉寺。

本堂の裏手には田谷山瑜伽洞(ゆがどう)、
通称・田谷の洞窟がある。
田谷の洞窟は鎌倉時代初期に開創された修禅道場。
古代人の横穴式住居跡だったとも
古墳のあとだったともいわれている。
ともかく、入口で蝋燭をもらい中へ。
上中下の三段構造で総延長1キロに及ぶ人工の地底伽藍は
外気と遮断されてひんやりしている。
残念ながら洞窟内は撮影禁止であるが
壁面や天井には曼荼羅、十八羅漢などが彫られている。
音無川という川まで流れていたのには驚いた!

伝説によると、この地にはかつて
鎌倉幕府侍所別当の和田義盛の三男朝比奈義秀が
弁財天を祀っていたという。
建暦3年(1213年)の和田合戦で義秀は
「神の如き壮力をあらわし敵する者は死することを免れず」(『吾妻鏡』)
とばかりに奮戦するも、やがて敗れ
この洞窟から落ちていったのだそうだ。
たしかに、ここに逃げ込めば
追手から逃れられそうではある。
なるほど、この地下迷宮は、なかなかの珍スポットであった。
横浜市栄区にある真言宗定泉寺。
本堂の裏手には田谷山瑜伽洞(ゆがどう)、
通称・田谷の洞窟がある。
田谷の洞窟は鎌倉時代初期に開創された修禅道場。
古代人の横穴式住居跡だったとも
古墳のあとだったともいわれている。
ともかく、入口で蝋燭をもらい中へ。
上中下の三段構造で総延長1キロに及ぶ人工の地底伽藍は
外気と遮断されてひんやりしている。
残念ながら洞窟内は撮影禁止であるが
壁面や天井には曼荼羅、十八羅漢などが彫られている。
音無川という川まで流れていたのには驚いた!
伝説によると、この地にはかつて
鎌倉幕府侍所別当の和田義盛の三男朝比奈義秀が
弁財天を祀っていたという。
建暦3年(1213年)の和田合戦で義秀は
「神の如き壮力をあらわし敵する者は死することを免れず」(『吾妻鏡』)
とばかりに奮戦するも、やがて敗れ
この洞窟から落ちていったのだそうだ。
たしかに、ここに逃げ込めば
追手から逃れられそうではある。
なるほど、この地下迷宮は、なかなかの珍スポットであった。
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この記事へのコメント
中は、地下迷宮のですか!
鍾乳洞とか、そういうスポット好きです。
中の涼しい雰囲気とかが特に
鍾乳洞とか、そういうスポット好きです。
中の涼しい雰囲気とかが特に
Posted by ryu-oumi at 2007年09月18日 09:15
ryu-oumi さん
いやいや防空壕か、核シェルターとしても役に立ちそうでしたよ。
それにしても、当時の土木技術はすごかったんだなあと
感心させられました。
いやいや防空壕か、核シェルターとしても役に立ちそうでしたよ。
それにしても、当時の土木技術はすごかったんだなあと
感心させられました。
Posted by QOOPAPA at 2007年09月18日 13:30