2007年03月18日

西教寺と明智光秀公

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。

引越前の最後の日曜日
我家は引越準備で大忙しだが合間を縫うように西教寺へ行った。

西教寺総門坂本城城門の遺構と伝えられている。



西教寺は天台真盛宗の総本山で
明智光秀縁の寺としても知られている。

西教寺の過去帳には以下のような記述があるという。

 「初代坂本城主 征夷大将軍明智日向守十兵衛光秀公

  天正10年6月14日寂 享年55 秀岳宗光大禅定門」


歴史ファンが坂本に住めば
明智光秀公が気になるのは必然であろう。

我輩ももちろん、光秀フリークである。



総門をくぐるとまっすぐな上り坂。

左右には宿坊が並んでいる。

三浦綾子さんの小説『細川ガラシア』には
光秀が西教寺を訪れるシーンが幾度か描かれているが
その景色はいまのそれとそんなに変わらないかもしれない。

そんなことを考えながらどんどん歩く。



坂を上り勅旨門の横の急な階段を上りきると
立派な本堂がみえてくる。

本堂の斜め前には明智光秀一族の供養塔

一族の無念はいかばかりであったか・・・・・・

ちなみに毎年、光秀の命日である6月14日には
明智光秀公顕彰会による追善法要と記念講演会がある。

QOOPAPAも参加していたようだが
今年からはちょっと無理そうだ。



<b>松尾芭蕉の句碑

 月さびよ 明智が妻の はなしせむ

越前朝倉氏に仕えていたころ、
貧乏だった光秀のもとを多くの明智の遺臣が訪ねてきた。

そこで妻の煕子は髪の毛を売って得た金で
来客をもてなしたという。

そんな煕子の墓もここにある。



また煕子の父・妻木広忠
山崎合戦で光秀に従ったが
敗戦後、この西教寺で自刃したという。

これは妻木一族の供養塔である。



西教寺からは眼下に坂本の町と琵琶湖が望める。
その景色は格別である。

境内の静寂と抹香の匂いと鉦の音。

西教寺は、我輩一番のお気に入りの場所だ。

今日は3月なのに雪がチラホラ舞っている。
我輩にとっては「なごり雪」である。  

Posted by QooQoo at 23:59Comments(2)TrackBack(0)石積の街・坂本

2007年03月14日

袋古墳緑地

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。



比叡山の東側山麓部
大津市錦織から坂本にかけての地域は
約1500年前、古墳時代後期の古墳群の密集地域らしい。

その数なんと約1000というから驚きだ。

で、坂本6丁目には袋古墳緑地というのがある。

説明書によると横穴式石室の古墳が3基見つかったそうだ。

大陸から日本に移り住んだ渡来人との関係が深いらしい。

古墳の上から坂本の町と琵琶湖を眺め
ちょっと豪族気分を味わってみました!


  

Posted by QooQoo at 20:17Comments(0)TrackBack(0)石積の街・坂本

2007年03月13日

奥保鞏の題字による「忠魂碑」

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。



滋賀院門跡の近く
ちょうど我輩の見ている方向に「忠魂碑」がある。

題字は元帥陸軍大将で伯爵の奥保鞏(おくやすたか)
明治45年7月とあるから日露戦争で戦死した方を
顕彰するための碑であろう。

 

奥保鞏は、小倉藩小笠原氏の家臣だったから
いわば佐幕派であり、薩摩閥の陸軍では異例の出世だったようだ。

日露戦争では第2軍司令官として大連に上陸。
遼東半島の金州・南山攻略戦は熾烈を極め、死傷者は4,000名を超え
東京の大本営は「ゼロが1つ多すぎるのではないか」と耳を疑ったという。

その後、遼陽の会戦、黒溝台の戦い、奉天の会戦へと転戦。
ロシア軍に猛攻を加え、勇名を馳せた。

奥保鞏は耳が不自由で、司令部からの作戦指示は筆談だったという。

(このあたりの経緯は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』に詳しい)

日露戦争後は下賜された一時金を全て部下に分け与えた。

そして故郷に凱旋した時は、日の丸を揚げて「万歳」で迎える人々を前に
「すまぬ、許してくれ」と瞑目したという。

奥保鞏という人物の人柄が偲ばれる逸話である。



大津に駐屯した陸軍歩兵第九連隊もまた中国大陸を転戦。
奥保鞏の作戦指揮の下で戦い、大きな犠牲を払っている。

題字をしたためた奥の心の中には
はたしてどんな思いが去来したのだろうか。

「またも負けたか八連隊 それじゃ勲章九連隊(くれんたい)」

関西の兵は弱兵と揶揄されたと聞くが
いったいだれがそんなことを言い出したのだろうか。  

Posted by QooQoo at 17:27Comments(2)TrackBack(0)石積の街・坂本

2007年03月12日

日吉御田神社の大クスノキ

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。



我輩のいつもの散歩コースである日吉大社への参道。

その日吉大社の一の鳥居と二の鳥居との間にある
御田神社という小さな神社の境内には
樹齢200年という大きなクスノキがある。

   

いつもは何気なく通り過ぎてしまう風景が
ここのところ気になって仕方がないQOOPAPAと我輩。

この神社もクスノキも何回もみているのに
足を止めてジックリみたのは初めてかもしれない。

坂本には神社やお寺はたくさんあるけど
日常の風景に溶け込んでいるので
普段は気にもとめないという人がほとんどだろう。

今考えればもったいないね。

なお、この御田神社では毎年1/15頃、豊作を願って
藁で大綱を作り、東西に分かれて綱引きを行う行事がある。

むろん、我輩は見たことはないが・・・・・・



(↑大津市のHPの写真より)   

Posted by QooQoo at 20:26Comments(2)TrackBack(0)石積の街・坂本

2007年03月11日

日吉大社から八王子山へ

我輩は犬である。名前はQOOQOOである。

本日、我が家では一家そろって日吉大社へ参拝に行った。

これまで無事に坂本で生活できたことへの
御礼をきちんとしておこうというわけだ。



大津京遷都にあたって三輪山より
大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請した西本宮

初詣だ!お宮参りだ!七五三だ!厄除けだ!といった具合に
とにかくお世話になりました。

 二拝・二拍手・一拝

ほんとに、お世話になったなあ。



神体山の八王子山に鎮座する大山咋神を祀った東本宮

せっかくなのでこの八王子山にも登ることにした。

長男君、次男君は幼稚園の行事で登っているが
QOOPAPAははじめてである。

八王子山は378m。

こんな感じの山道をゆっくりと登っていく。





15分くらい登っただろうか
再び石段がみえてくると、ようやく山頂。

山頂の左には三宮宮、右には牛尾宮
そして中央には金厳岩が鎮座している。

そんなにキツイ山道ではないが
それなりの充実感はある。





そして振り返れば
眼下に広がる坂本の町と琵琶湖。

Oh Mother Lake!

またいつの日か、坂本に帰ってきたら八王子山に登ろう。

そのとき、この好風景を
我輩らはどんな気持ちで眺めるのだろうか。

冬空と琵琶湖の青さと神体山の清浄さに
少し感傷的になってしまった。

  

Posted by QooQoo at 23:51Comments(2)TrackBack(0)石積の街・坂本